後藤 匡胤
MASATSUGU GOTO
掃除教育事業部 マネージャー|2期生(2024年度入会)/中央大学文学部1年
読了 約7分
ニュージーランド留学中に見た、机の裏のガムと、トイレに詰まった食パン。「ナゼ?日本は比較的きれいなのか」——その問いから、掃除教育は生まれた。企画書1枚から始めて、実際の教室に届くまでの2年間を聞いた。
入会のころについて
まず、簡単に自己紹介をお願いします。
後藤匡胤です。2期生として入会し、いまは掃除教育事業部のマネージャーをしています。中央大学文学部の1年生です。
TEIGEN JPのことは、どこで知ったんですか。
高校時代の親友が、前身である「15歳の提言」の代表として活動していたことです。親友がさまざまな賞を受賞し、表彰されている姿や、普段の会話を通して活動について知りました。
その親友に誘われて、という感じですか。
ええ。代表から誘われたことに加えて、ここなら、まだ自分でも知らない自分に出会い、自分自身を変えられるような機会を得られるのではないかと、直感的に感じたからです。
掃除を、単なる作業ではなく「教育」として捉え直したい。
掃除教育の原点について
「掃除教育」というテーマは、どこから生まれたんですか。
ニュージーランドへの留学中に見た光景です。学校の椅子や机の裏にガムが付いていたり、学校のトイレに食パンが詰まっていたりしました。
日本の学校では、あまり見ない光景ですね。
そうなんです。だから「ナゼ?こんなに汚れているのか」と驚くと同時に、「逆に、ナゼ?日本は比較的きれいなのか」と考えるようになりました。
その差は、どこから来ていると思いました?
日本では児童や生徒自身が学校を掃除する文化がある一方、海外では清掃を専門の職員に任せることが多い。自分で使う場所を自分で掃除する経験の有無が、公共の場所をきれいに使おうとする意識にも影響しているのではないかと考えました。
とはいえ、日本もどこでもきれい、というわけではないですよね。
はい。日本でも渋谷などの繁華街にはごみが目立つ場所があります。掃除を自分ごととして捉える文化が薄れていけば、日本の街もさらに汚れていくのではないか——だからこそ、掃除を単なる作業としてではなく、公共の場所を大切にする姿勢を育てる「教育」として捉え直したいと思うようになりました。
0から1の立ち上げについて
同じことに気づく人はいても、事業にまでする人は多くないと思います。
「誰かが行動するのを待っているだけでは、何も変わらない」と感じたからです。このまま何もしなければ、自分が大好きな日本のきれいな景観が、少しずつ失われてしまうかもしれない。そう考え、自分が先陣を切って行動しようと思いました。
では、いちばん最初にしたことは何でしたか。
企画書の作成です。
授業の中身から考えたわけではないんですね。
はい。まずメンバーと一緒に「ナゼ?自分たちが掃除教育に取り組むのか」を深掘りしました。掃除をめぐる現状と、その状況が生まれている根本的な原因を考え、事業として取り組む目的を整理していきました。
前例がないと、途中で分からなくなりませんか。
迷いました。次に何をすればよいのか分からなくなることもあります。そのようなときは、目の前の作業だけにとらわれず、もう一度「何のためにこの事業を行うのか」という目的に立ち返るようにしていました。そして、最終的に実現したい状態から逆算して、いま必要な行動は何かを考え直していました。
熱意を伝えるだけでは、相手に安心して協力してもらうことはできない。
学生が企業や学校に頭を下げに行くわけですよね。何がいちばん難しかったですか。
外部への連絡に細心の注意を払うことでした。それまでGmailをほとんど使ったことがなく、ビジネスマナーも学んできたわけではなかったので、言葉遣いやメールの送り方を一つずつ手探りで覚えていきました。
熱意さえあれば伝わる、というものでもないんですね。
おっしゃる通りで、自分たちの思いや熱意を伝えるだけでは、相手に安心して協力してもらうことはできないと考えました。相手の立場に立って、どのような内容であれば受け入れてもらえるのかを何度も吟味しました。相手にとっての意義だけでなく、企画の実現可能性や安全性、教育的な価値が伝わるように意識しました。
正直、やらかしたこともあるんじゃないですか。
あります(笑)。メールで返信と転送を間違えたり、適切ではない言葉遣いをしてしまったり。
いちばん苦しかった時期について
立ち上げの2年間で、いちばん苦しかったのはいつごろですか。
大学受験と学校のテスト、掃除教育の授業開催に向けた準備が重なった時期です。
どれも後回しにできないものばかりですね。
本当に、そうでした。常にやるべきことに追われていました。ストレスから肌もひどく荒れて、「ナゼ?こんなに忙しいのだろう」「もう自分には無理かもしれない」と感じることもありました。正直、活動を辞めたいと思ったこともあります。
それは、相当な時期でしたね。それでも続けられたのは、何があったからでしょう。
マネージャーとしての責任があったことに加えて、何よりも事業をつくっていく経験そのものが楽しかったからです。もともと教育に対する強い思いがありましたし、大変な状況に向き合うたびに、自分自身が少しずつ成長している感覚もありました。その実感が、もう少し頑張ろうと思える理由になっていました。
仕事を任せることは、責任を手放すことではない。
そのとき、やり方を変えたんですか。
代表の堀井に相談しました。相談する中で、自分一人ですべてを抱えるのではなく、仲間に仕事を任せる必要があると気づきました。受験勉強を優先しながら、通学中などの隙間時間を使って活動を進めるようにもしました。
それまでは、なかなか任せられなかったんですね。
そうなんです。マネージャーという立場を経験するのも初めてで、人に頼るという発想があまりありませんでした。掃除教育は自分の問題意識から始まった事業でしたから、自分が最後まで責任を持たなければならない、という思いも強かったのだと思います。
いまは、そこをどう捉えていますか。
最初から自然に頼れたわけではありませんが、忙しい状況の中で、メンバーに任せなければ事業そのものが進まないことを実感しました。仕事を任せることは責任を手放すことではなく、チーム全体で事業を進めるために必要なマネージャーの役割だと考えています。いまは、自分だけで進めようとするのではなく、メンバーそれぞれに役割を持ってもらい、困ったときには周囲を頼ることを意識しています。
初めての授業について
初めての授業で、いちばん印象に残っているのはどの場面ですか。
その日に担当した、3つ目のクラスです。
そのクラスが、どうして印象に残ったんですか。
児童の発言が多く、授業をまとめることが難しかったのですが、事前に作成した進行台本と役割分担をもとに、学校の先生に進行を助けていただくことなく、メンバーだけで時間内に授業を終えることができました。自分たちが準備してきた授業が、実際の学校現場でも成立したことに、大きな達成感を感じました。
うまくいかなかった場面も、正直ありましたよね。
自己紹介が盛り上がりすぎて、予定よりも時間がかかりました(笑)。雑巾の使い方を実演したときには、立ち位置の問題で動きが見えない児童が出てしまいました。
救われた場面もありましたか。
挙手した児童を先生が積極的に褒めてくださったことで、ほかの児童も発言しやすい雰囲気が生まれたことです。次回は、クラスの雰囲気に応じて進め方を変えることに加え、指名する児童の人数や担当者、説明する人の立ち位置を事前に決めたいです。
変わったことについて
入る前と比べて、いちばん変わったところはどこですか。
自分の考えを、実際の行動に移せるようになったことです。入会当初は、自分を変えられるような機会を求めていましたが、掃除教育の立ち上げを通じて、一つの問題意識を企画書や授業という形にし、企業や学校、メンバーを巻き込みながら実現する経験ができました。
最初から、そんなふうに動けたわけではないですよね。
もちろん、初めから自信を持って行動できたわけではありません。何をすればよいのか分からなくなったり、仕事を一人で抱え込んだり、外部との連絡で失敗したりすることもありました。しかし、そのたびに目的やゴールへ立ち返り、周囲に相談しながら進めてきました。そうした経験を通して、以前よりも自分の考えを信じ、失敗を恐れずに行動できるようになったと思います。
これからについて
これから、掃除教育をどうしていきたいですか。
一度限りの授業で終わらせず、毎年継続して実施できる仕組みにしていきたいです。
最後に。後藤さんにとって、TEIGEN JPとは、どんな場所ですか。
自分の中にある問題意識を、考えて終わらせるのではなく、社会に届く形へ変えることができた場所です。掃除教育は、自分一人の小さな疑問から始まりました。それが仲間との議論や、企業・学校との協働を通じて、実際の授業として子どもたちへ届いた。自分の考えを行動に変える力と、それを最後まで形にする自信を与えてくれた存在です。
後藤匡胤(ごとう・まさつぐ)。2期生(2024年度入会)。掃除教育事業部マネージャーとして、小学校への出前授業「地域をまもれ!おそうじ隊」の企画・運営を統括。中央大学文学部1年。