横山 祐奈
YUNA YOKOYAMA
翔風会(Legacy Fellows)|1期生・創設メンバー(2023年度入会)/津田塾大学
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中学3年生のころから課外で社会活動をしていた横山祐奈は、あるイベントで堀井と出会い、TEIGEN JPの前身「15歳の提言」の立ち上げに加わった。区役所の駐輪場での言い合い、守れなかった期限、代表への嫉妬と尊敬。きれいに整理された沿革には残らない、創設期の手ざわりを聞いた。
始まる前について
まず、簡単に自己紹介をお願いします。
横山祐奈です。1期生、創設メンバーの一人で、いまは翔風会としてTEIGEN JPに関わっています。もともと中学三年生のころから課外で社会活動をしていて、そんな中で、あるイベントを経て現在の代表の堀井と出会いました。
当時から、足立区やシティズンシップ教育に関心があったんですよね。
それが、正直ありませんでした。当初、堀井と出会った頃の私は、関心分野が日本の安全保障だったんです。ただ、政治について同世代の仲間たちと話せる空間を創出したいなと思って始めたのがきっかけですね。
声をかけたのは、横山さんのほうからだったんですね。
はい。堀井に「何か政治系のプロジェクトを起こさないか」と持ちかけたとき、「俺もちょうどやりたいことがあって」と模擬区長選挙の話を聞いたのが、現在のTEIGEN JPのすべての始まりです。
一緒に始めた理由について
私の生まれ育った足立区に、こんなに素敵な人たちがいるんだって。
模擬区長選の構想は、もともとどこから来ていたんですか。
第1回モギ区長選挙は、もともと足立区立第四中学校に通っていた堀井を含めた4人のメンバーが、公益社団法人日本青年会議所の主催する「第1回政策甲子園」で最優秀賞をとった、そのプレゼンの内容の実装を目的としたものでした。なので、そのメンバーにプラスで、課外活動経験の豊富だった私がそこに入り、イベント構想を練っていった、というのが当時の歩みです。
地元でやる、というのも大きかったんじゃないですか。
そこには、大きな意味を感じてはいました。地元足立区で、足立区出身のメンバーでこのプロジェクトができるということに。私の生まれ育った足立区に、こんなに素敵な人たちがいるんだって。うれしかったです。
初めての「大人の世界」について
区民の要望だぞ!心して聞け!くらいの心持ちでいた。
最初は、どこから区に話を持ち込んだんですか。
ファーストコンタクトは、選挙管理委員や議会事務局を吹っ飛ばして、堀井と仲のいい先生を介してだったんです。今考えると、ステップを踏まない猪突猛進さに青さを感じますよね。ちゃんと開催まで発展させられたのは、きっと当時の選管委員長がとても寛容な方で、いろいろ相談に乗ってくれたからなんです。無鉄砲ではあったけど、これもまたご縁だと思います。
15歳で行政に提案するわけですよね。緊張しませんでしたか。
緊張はあまりなかったかな。わくわく・楽しみ・面白くなりそう、ここら辺を感じていたと思います。
子ども扱いされる心配も、なかったと。
行政の縦割りの組織図は理解していたから、突っぱねられるかもしれないという不安は……堀井の相談に乗ってくれていた先生がとても前向きに話を聞いてくれていたので、あまりなかったです。逆に、区民の要望だぞ!心して聞け!くらいの心持ちでいたくらいだったと思います。気が強いので。
区役所の駐輪場について
ミーティングのあとも、区役所の駐輪場で話し込んでいたそうですね。うまくいった日は、どんな空気でしたか。
今ではいい思い出ですね。うまくいった日は、大体堀井の機嫌がわかりやすく良いので面白いんですよね。みんなでお互いを褒めあって、謝って、いいんだよーって励ましあいながら、頑張っていこうな、って鼓舞しあうんですよ(笑)。
いい日ばかりでも、なかったんじゃないですか。
一度、駐輪場で大議論をかました日があって、同期の山田とグチグチ言いながら帰路についた覚えがあります。私が保守的で、堀井が何事も挑戦するタイプなので、折り合いが悪いときは悪かったですね。それも今思えばいい思い出ですけど!
振り返ると、あの駐輪場の時間は特別だったように聞こえます。
あの時間——オフラインでメンバーと対面して、ガチャガチャ言い合って、笑いあっていた時間があったから、私たちは情熱を忘れないでプロジェクトに向き合えていたんだろうなって思います。メンバーが本当に面白いんですよ。ワンマン気質のある堀井、それを咎めてすぐ突っかかる私、いじられキャラの伊丹、お姉さんタイプの山田。全部のピースがかみ合って、「面白い」チームになっていたと思います。
最初のモギ区長選について
第1回をつくるまでで、いちばん苦労したことは何ですか。
私がねー、タスクの期限を守れないんですよ。ちゃんと。あの頃は「病的に怠惰なヤバいやつ」だったので、何度も怒られていましたね。
期限のほかにも、壁はありましたか。
本当に深刻だったのが、「何をすればいいのかわからない」問題ですね。
やるべきことが、見えなかった。
絶対にやらなきゃいけないことはあるんですよ。このままじゃ多分ダメなんだろうな、っていうのはわかるんですけど、「必要なことは全部やりきっている」んですよね。自分たちは当日どんなことがしたいかを分かっているけど、参加者は何もわからない。そしたら、理解させるために何をすればいいのか?区役所には何を提出して、議員の先生たちには何を渡せばいいのか?(いやでも企画書はあるし、要望書もあるし、当日のスライドは今堀井が作ってるし…)と、本当に何をすればよいのかわからない時間がありました。で、直前になってあれをやらなきゃ、これをやらなきゃってなるんですよね。
期限の話でいうと、堀井さんのほうはどうだったんですか。
なんだかんだ、堀井も期限を守れないんですよね(笑)。スライドがないと当日の導線を考えられないから、スライドと進行の大枠を早くもらわないと私たちも動けないのに、スライドの完成が確か前日とかだったんですね。私たちが作る、って言っても、堀井は絶対に譲らないんですよ(笑)。
その反省は、次に生きたんですよね。
第1回では、スライドの重要性がわかっていなかったのと、当日導線の打ち合わせを事前にきちんとできていなかったし、区役所側にもちゃんと伝えきれていませんでした。そこは本当に反省点になったし、第2回に生かされた点でした。
ぶつかったことについて
創設メンバーどうし、ぶつかることも多かったんじゃないですか。
私と堀井がどちらもリーダー気質で、特に堀井はワンマンで、すべて自分の思う通り、自分が中心となって進めたいという感じなので(というか、多分そうじゃないと落ち着かないんだろうなとは思いますね)、何度もぶつかり合いがありました。個人のプロジェクトでなくチームだということを、どうにか理解してもらえないかと悩んでた時はありましたね。
それは、本人にも伝えたんですか。
「みんながあっての堀井だからね!」という話は、2人でもチームでも、何回もしたと思います。
横山さん自身は、チームの中でどんな役割だったと思いますか。
えー、なんだろう。ムードメーカーとかですかね。私がもともと課外活動を精力的にやっていたので、そこでできた人脈等を、TEIGENにバトンしていました。
いちばん苦しかったことについて
こんなに鼻につくのに、やっぱり尊敬せざるを得ない。
創設から今までで、いちばん苦しかったことは何ですか。
堀井だなー。
堀井さん、ですか。
さっきから堀井のことを悪く言うようなことばかり言っているので、ここでちゃんと説明させてほしいんですけど、私は堀井に嫉妬していて、嫉妬からくる嫌いがあります。だけど、それ以上に堀井のことを尊敬しているんですよ。同世代で、ここまで自分と違う人間がいて、カリスマで、すごいなぁって。
嫉妬と、尊敬と。
こんなに鼻につくのに、やっぱり尊敬せざるを得なくて、私は堀井のパフォーマンスに感嘆することしかできないんです。私の堀井に対する感情って、そんな簡単な言葉じゃ表せません。そんな堀井について行って、イベントを仲間として一緒に作っていって、私の精神もきっと成熟していったんだろうなって思います。
託すことについて
4人で始めた団体が、いまは40人近い組織になりました。どう見ていますか。
正直、自分が思ってたより堀井の実行力と巻き込み力がすごくて、ここまでちゃんと団体を発展させて運営していくとは思っていなかったので、すごいなと。そして、この団体に着いてきたいと思ってくれる人たちがこれだけいる、というのにも価値を感じます。みんなで、やりたいことをやろう〜。
いまは翔風会として、後輩に団体を託す立場ですよね。後輩たちに伝えたいことはありますか。
大人に搾取されないで、汚い大人の野心すらも自らの力に変えて、この団体がやるべきことをしてください、と思います。
最後に。横山さんにとって、TEIGEN JPとはどんな存在ですか。
おばあちゃん家、みたいなニュアンスです。
横山祐奈(よこやま・ゆな)。1期生・創設メンバー(2023年度入会)。創設期からTEIGEN JPを支え、現在は翔風会(Legacy Fellows)として現役の活動に伴走する。津田塾大学。